人生で初めて「心が傷ついた」ことって記憶にあるでしょうか。
私はあります。
何となく言われたひと言がまだ幼かった私の心に突き刺さったときのこと。
紙粘土で工作
私が年中さん(4歳)くらいの頃、保育園の工作の時間に紙粘土でお面を作る時間がありました。
先生たちはみんなに紙粘土を配り“「水で濡らしながらこねる」ということを説明しました。
私にしてはめずらしく、先生の説明をしっかりきいてから作業に取り掛かりました。
紙粘土を水で濡らしながらよくこねました。
クラスの友達も一生懸命こねていましたが、わたしも一生懸命こねました。
先生は子供たちがこねた紙粘土の硬さを見ながら、ときに手を貸していました。
先生に言われた段階まで終わったところで先生に出来たことを伝えました。
「もうできたの!すごいね、こうちゃん!」
先生に褒められて、とても嬉しくかったのを(薄っすらと)覚えています。
先生に褒められたこと。
そして、みんなより早く終わった優越感。
とても偉くなった気分になり、自分も先生になった気持ちでした。
先生ごっこ。
先生みたいな気持ちになった私は、先生と一緒にみんなを見て回りました。
みんなの作業状況を見ていると、自分が思っていた以上に早く終わったことがよく分かり、さらに気分が良くなりました。
私は先生の歩く真似をしながら、先生の後ろをついて歩きました。
友達が「先生みたい!」といって囃(はや)すので、「先生ごっこ!」と返しました。
先生が他の子のところで足を止め、その子の紙粘土をこねはじめました。
私も近くに寄っていって、先生の後ろから覗き込みました。
先生がその子に
「まだ硬いなぁ~。もっと水を濡らさないと柔らかくならないよ?」
と教えていました。
軽い気持ちで言ったひと言。
私は先生がその子を手伝っていることに、何となくですが嫉妬心のようなものを抱きました。
その先生に褒められて、自分がその先生にとって特別な存在になったような気持ちだったのでしょうか。
でも私はその気持ちを心に押し込めて、先生の横についてその子の紙粘土をつついてみました。
自分も先生みたいに真似してみようと思い、
「まだ硬いなぁ~」
と、先生みたいに言いました。
(やだ~、それ先生のマネでしょ!ダメよ、こうちゃん!)
きっと先生は笑いながら、そう言ってくれると思っていました。
すると、全く想像していなかった言葉が返ってきたのでした。
「自分だって硬かったくせに」
先生のすぐとなりにくっついていたので、耳元で聞こえました。
「自分だって硬かったくせに」
そのとき、私は怒られたわけでも、叩かれたわけでもないのに泣きそうになりました。
不思議でしたが、とても悲しかったのをよく覚えています。
自分でもどうしたらいいのか分からず、取りあえずその先生から離れ、教室の外を眺めて気分を紛らわせました。
子供の頃、とくに保育園くらいの頃は先生に何か言われてもあまり“傷つく”ということは経験しないと思います。
先生はあくまで指導する側で子供たちは指導される側。
あるいは、保護する側と保護される側。
なので、先生のいうことをきいていれば何も言われないし、いうことをきかなければ叱られる。
先生が自分に優しくしてくれるとか、冷たいとかそういうことの入り込む隙間はありません。
あのときの先生も、軽い気持ちで言ったのだと思います。
でもその何気ないひと言で、深く胸を痛めてしまう場合も時としてあるようです。