思い出

大脱走。~ 保育園の思い出 ~

私が保育園に子供を迎えに行くと、保育園の門は大きな柵で仕切られています。

その柵を見るたび「これでは脱走できないなぁ」と、少し安心します。

保育園児のモーニングルーティーン。

40年ほど前の話です。

「じゃあ、支度しようか」

母は私に朝食を食べさせ、保育園用のスモッグを着せた後、自分の身支度を始めます。

当時の母は損害保険会社で仕事をしており、父と共働きでした。

朝のこの時間は、父はすでに出勤しており、二人の姉もそれぞれ小学校に登校した後でした。

母と二人きりの、この時間が好きでした。

母がお化粧をしたり着替えたり、身支度を整えている時間、私はたいていテレビを見ながら過ごしていました。

そして私は母と二人で歩いて登園していました。

母との保育園までの道中は比較的平穏です。

大好きなお母さん。

でも保育園の玄関に入ると母と離れるのが悲しくなり、いつもワンワン泣いていました。

最後には園長先生が登場し、泣き叫ぶ私を抱え上げ、母は逃げるように出勤していました。

園長先生「今のうちに、はやく!」

母「すみませ~ん!」

私「おかあさ~ん!わ~ん!やだ~!!」

こんな光景が頻繁に繰り広げられていました。

自由になる決意。

ある日、私はある決意をもって登園しました。

それは、保育園から脱走する決意です。

作戦はこうでした。

保育園脱出作戦

1. タイミングを見計らって保育園を脱出!

2.そのまま家まで走る!

3.鍵を開けて家に入る!(mission complete!)

脱走さえ成功してしまえば、家までの道中は問題ありませんでした。

自宅から保育園までは歩いて10分とかからない距離でしたし、保育園の裏の公園にはひとりで遊びに行くほどなじみのある道だったからです。

自宅の玄関のカギは掛かっていますが、カギの在り処は分かっているので大丈夫。

問題は保育園からいつ脱け出すか、でした。

が、これも一択でした。

園庭遊びの時間のみ。

これを逃せば、その日に脱走する機会は訪れません。

ちなみに今では考えられませんが、私が保育園児だった40年前は保育園の正面玄関は黄色のプラスチックチェーンで仕切る程度でした。なのでそれをくぐり抜けてしまえば簡単に出入りが可能でした。

しかし、このとき如何に先生の目を盗み、クラスの友達にも気付かれずに脱け出すか、それが最大の問題でした。

自由に!

その日もいつも通り保育園の生活が始まりました。

朝の挨拶から始まり、絵本の読み聞かせやピアニカの練習などしていたと思います。(記憶が曖昧)

そして園庭遊びの時間がやってきました。

いつもはお友達と一緒にジャングルジムやブランコ、砂遊びなどに興じていますが、この時ばかりは誰とも関りを持たないようにひとりで居ました。

園庭遊びが始まってしばらくすると、子供たちの動きは活発になり、声もにぎやかになり、みんな遊びに夢中になりだします。

私は園庭に続く保育園の門の近くをウロウロしてチャンスをうかがっていました。

保育園の門の外の歩道には誰もいない。

先生もこっちを見ていない。

こちらに顔をむけている者は誰もいない。

(今だ!)

次の瞬間、保育園の門をダッシュで抜け出しました。

大人のいうことに背いた罪の意識と、保育園を脱出した解放感で涙が止まりませんでした。

自由の先にあるもの。

自宅に到着すると鍵の隠し場所から鍵を取出し、玄関を開けました。

中に入ると、家のなかは静まり返っていました。

いつもと違う、家のなか。

私はひとりでトイレに入りましたが怖さもあり、扉は開けっ放しにして用を足しました。

それからしばらくの間はテレビを見たり、おもちゃで遊んだりしていました。

家の中での遊びに飽きると家の前で砂遊びをしていました。

ひとしきり遊ぶと、次に公園にいきました。

しかし、公園には私ひとりしかいませんでした。加えて、保育園のすぐ近くということもあり、すぐに家に戻りました。

家に戻ると、先ほどと少し状況が変わっていました。

ほんの少しですが、家の中が薄暗く思えたのです。

(怖い)

時間的には午後3時から4時くらいだったと思いますが、“暗い”というだけで保育園児には恐怖でした。

玄関から家の中に入れず、しばらく家の前に立ち尽くしていました。

しばらくすると、隣に住む幼馴染みのたっちゃんのお母さんが買い物から帰ってきました。

そして私を見つけて声をかけてくれました。

「どうしたの?保育園、終わったの?」

(うなずく)

「家に入れないの?中が暗くて怖いの?」

(うなずく)

「じゃあ、おばちゃんが電気点けてあげる」

(うなずく)

そうして家の中に電気が灯りました。

たっちゃんのお母さんは私におやつをくれ、帰っていきました。

大らかな母。

この日、保育園でどんな騒ぎがあったのか、保育園と母親とどのようなやり取りが交わされたかなどは分かりませんが、次の日もいつもどおり保育園に登園していたと思います。

そして、この件について私の記憶にあるのはここまでです。

最近になって、このことを母に話しました。

母もそのこと自体は覚えていましたが、やはり多くは忘れているようでした。

「ビックリしたのは覚えているけど、そんなに大騒ぎしなかったような気がする」

といっていました。(それに私はビックリ)

昭和50年代。

とても大らかな時代だったようです。

子だくさんパパ
Kouichi
新潟県の隅っこで暮らしている子だくさんアラフィフです。 若いころは子育て…というよりは子供に対して強く叱責してしまう自分に悩み、自己嫌悪していました。 実父であるじぃじの「みんな同じ。そんなモンだよ」の一言で救われました。今度はそれを伝えたくて、いろんな方法を今は考えております。
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