思い出

あれは、我が子への虐待でした。

自分の子供を虐待のあげく死に至らしめる、といったニュースや新聞記事をみると本当に胸が痛みます。

あの子はパパやママに対して、いったいどんな想いを抱いていたのだろう?

ママにせっかんされても、それでも大好きなママと想っていたのかな?

パパの声が怖くても、“ホントはちゃんと大好きでいてくれているはず”と信じていたのかな?

保育園で、どんな気持ちでママの迎えを待っていたのだろう?

考えれば考えるほど、胸がいっぱいになり涙が溢れてきます。

長男が産まれた日のこと。

長女が1歳6ヵ月の頃、ママのお腹には長男がいました。

ある土曜日の午後、天気も良かったのでドライブがてら大型ショッピングモールへ買い物に行くことになりました。

私は長女と一緒に先にアパートを出て、前の空き地でママの準備が終わるのを待っていました。

すると、アパートの窓から「パパ!ちょっと来て!」とママが私を呼んでいました。

破水でした。

直ぐに通っていた産婦人科へ向かい、お産のため入院となりました。

長男は翌日の午前中に生まれました。なんと4,000gの大きな赤ちゃんでした。

その日の夕方、長女と一緒にママと新しい家族に会いに行きました。娘にとって初めてみる赤ちゃんでしたが、それよりも何よりも会いたくて仕方なかったママに会えてとても嬉しそうでした。

そして、ママともっと一緒に居たいはずの長女を連れ、二人でアパートに帰りました。

生活リズムが激変!

それから1週間。

私は保育園の準備ため朝早く起き、朝食(離乳食)の準備をし、おしぼりやタオル、連絡ノートの記載など保育園の準備をし、長女を起こし着替えさせ、朝食を食べさせ、靴を履かせ、出勤していました。

仕事が終わると、保育園に迎えに行き、家に帰ると晩ごはんの準備と食事、そしてお風呂。

最後にミルクを作って飲ませながら寝かし付けていました。娘が寝たあとは洗濯機を回して洗濯物を干し、それから、ようやく一服、というサイクルでした。

語尾に「!」

当時の私は語尾に「!」が付くような言い方をしていました。

「はい、いくよ!」「片づけて!」「何やってるんだ!」等々。

ママがいなくなり、パパとだけの時間が続く中で娘はきっと、いつも怒られているように感じていたに違いありません。

だけど娘はママがいない寂しさも、怖いパパの声も必死に我慢しながら、私の言うことをきいていました。

まだ、歩くのすらおぼつかない1歳6ヵ月の子供です。

力いっぱい怒鳴る。1歳6ヵ月に対して。

ある日の朝、私は娘を怒鳴りました。力いっぱいに、怒鳴りました。

どうして怒鳴ったのかは、覚えていません。大したことではなかったはずです。

だって覚えていないのだから。

頭を叩いたり、手を叩いたりはしませんでしたが、スプーンか何かを床に投げつけたりはしたかもしれません。

疲れていたのか。

子供と二人きりの生活に余裕がなかったのか。

何につけても手が掛かる子供にストレスがたまっていたのか。

いずれにせよ、1歳6ヵ月の幼児に対して力いっぱい怒鳴ったことは紛れもない事実です。

当時の私。

当時の私は「子供だから仕方ない」とか「子供はそういうモノ」なんて考えていませんでした。

また「子供にはこういう風に説明する」とか「子供がこういう行動をとるのはこんな理由があるから」とか、そんなことにも興味はありませんでした。

子供は子供。して欲しいことは率直に言う。できなければ「叱る」。それが「しつけ」。

そういう理屈でした。

そして、子供を優しく可愛がっている自分に酔いしれ、ママの家事を手伝うイクメンを気取る。

それは「オレってスゴいでしょ!イクメンでしょ!」っていうアピールでしかありません。

なんていう身勝手な考えでしょうか。迷惑な「エゴイスト」。

そして、子供に「叱る」ときは「しつけ」のため、力いっぱい「怒鳴る」。

どうやら、子供への虐待というのはこういう理屈からエスカレートしていくようです。

ただ、誤解してほしくないのは子供が嫌いとかいうことは全くありません。

子供に対する愛情はママと同じようにありましたし、子供を愛していました。(いまもですが)

父親の言葉

それから数年間、子供が増えるたびに「しつけ」だ、と自分に言い聞かせ怒鳴り続けていました。

いっぽうで、怒鳴るたびに猛烈な自己嫌悪に陥ることが多くなっていきました。

「どうしてだろう…。何か違う。」という心の声。

泣き叫ぶ子供たちと、「もうやめてよ!」と子供をかばうママ。

犯罪に近いような、とても悪いことをしている気分になります。

しかし、「いや、これは“しつけ”なのだ」「子育てなんだ」と自分に言い聞かせ続けていました。

このことを父親に打ち明けた時がありました。

神妙な面持ちで私の話を聞いたあと、父親はやけに優しい口調でこう言いました。

「父親なんて、皆そんなモンだよ。お前だけが特別なわけじゃないよ。」

なんてことのない言葉でしたが、泣きたくなるほど気持ちが楽になりました。

その言葉には「オレも、おまえと同じように自己嫌悪してきた」「どうしたらいいのか、答えを探していた」という意味がありました。

同時に「父親として、おまえが進む道はそっちじゃないよ。こっちだよ。」と、正しい道を教えてくれた言葉でした。

父親の言葉を聞いて10年たちました。

少しはマシになったのでしょうか…。

子だくさんパパ
Kouichi
新潟県の隅っこで暮らしている子だくさんアラフィフです。 若いころは子育て…というよりは子供に対して強く叱責してしまう自分に悩み、自己嫌悪していました。 実父であるじぃじの「みんな同じ。そんなモンだよ」の一言で救われました。今度はそれを伝えたくて、いろんな方法を今は考えております。
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